語りの部屋

2019.7.05

牛田小学校の感想文

IMG_6917

6月21日にお伺いした牛田小学校から、感想文が届きました。

学校の取り組みとして平和学習をとても熱心にされているからこそ、知識を持って私の話を聞いていただき、より理解していただけたのだなぁと伝わってくる感想文でした。

 

感想文の一部をご紹介します。

 

【生徒さんからの感想文】

『禎子さんの願った平和への思いを、今の私たちが受けつぐことは大変なことだと思います。そして、今私たちのできるゆいつの方法だと思います。小さなけんかが、小さな戦争に、やがて大きな戦争に、そのようなことにならないように、自分のことだけでなく、相手の事を考えるのも必要なことなんだとも思いました。命の大切さ、尊さを感じる機会が出来たと思います。』

 

『今日私が分かったことは、平和は思いだけではなく、行動につなげなくてはいけないと思いました。(中略)今私たちにできることは、今日聞いたことや、今まで習ってきたことを、次の世代につなげることです。』

 

『川野さんの言葉一つ一つに、気持ちがこもっていて、戦争の恐ろしさ、皆が禎子さんを思う気持ちなど、たくさんのことが伝わってきました。皆が禎子さんのことを思う気持ちから、団結の会から広島へ、広島から全国へと広がっていったのだと思います。一つの力でも、集まった大きなことが出来ると知りました。お話を聞いて、平和であることの大切さに改めて気づきました。』

 

『今回川野さんのお話を聞いて、三つのことが分かりました。

一つ目は、原子爆弾の恐ろしさです。今まで六年間平和学習をしてきて、恐ろしさは分かっていました。でも「穴を掘ったら骨が出る」という言葉でもっと恐ろしいということを知りました。

二つ目は、人の賛同を得るにはどうすれば良いかということです。得るためには、原子爆弾の子の像を建てようとした「思考力」そして実行した「行動力」この二つが重要ということが分かりました。

三つ目は、今から何をしていけばよいかということです。僕は、川野さんのように像を作らないですが、何か平和について出来ることが出来たらなと思います。』

 

 

また、質問が書かれていたので、この場でお答えしたいと思います。

 

【生徒さんからの質問】

『被爆者はつらい経験を思い出したくないから、語り部になりたくないということを聞いたことがあります。川野さんが語り部になったきっかけはありますか。』

1995年、戦後50年という節目の年、中小企業家同友会の全国女性経営者交流会が広島で開催されました。テーマは「平和と経営」。そこで思いもよらない「原爆の子の像の話」の講演依頼が来ました。私は迷い、母に相談すると、原爆で多くの犠牲者が出た「旧姓広島一中」にある追悼碑の前につれて行かれました。そこに刻まれた兄の名前をさすりながら「お兄ちゃんの為にも、禎ちゃんのことを、話さにゃーいけんよ」と母は言いました。兄は「残念だ、残念だ」と言い残して亡くなったといいます。「被爆時3歳だった私には、原爆の被害は語れない。ただ、語れるのは、幼くして亡くなった親友の事だ」禎ちゃんを通して今の子供たちに、平和の尊さを伝えるのが、私の役割だと気づき、以来、私は語り部になりました。

 

 

『平和の子の像が造られた時、うれしい以外にもどのような気持ちがありましたか。』

禎ちゃんを毎日見舞うと約束したのに行けなかった負い目があり、禎ちゃんの為に何かしなければと思って像を造る活動を始めたので、やっと約束を果たせたという達成感がありました。