吉島東小学校の平和学習
7月11日、吉島東小学校で5年生2クラス70名の生徒さんに「原爆の子の像と六年竹組」のお話をしました。
吉島東小学校は、私の息子や娘、孫が通っていたのでとても身近な学校で、親近感を持ってお話しができました。
4年生の教科書に禎子さんのことが載っているのでそこで学習をされた後、今回5年生で私のお話しを聞かれました。
事前学習をされていたので、お話しの後にもたくさん質問が上がりました。
その一部をご紹介いたします。
<質問>(一部抜粋)
Q. 禎子さんはクラスを盛り上げるような人でしたか?
A. グラウンドではとても活発な子で、走りっこなど運動は何をやっても一番でしたが、教室ではどちらかといえばおとなしい子でした。
Q. 川野さんは原爆を受けて病気になりましたか?
A. 私は自宅の中で被爆したのですが、その後も特に原爆が原因の病気にはならず、元気に今こうして語り部活動を続けています。
Q. 6年竹組のみんなは今どこでどうしていますか?
A. 卒業の時に約束した通り、同窓会をしています。
広島を離れている人や連絡の取れない人、亡くなった人もいますが、コロナ前までは毎年〜2年に1回やっていました。
コロナで今3年くらいしていませんが、コロナが明けたらまた集まろうと思っています。
最後に折り鶴ノートを70冊お渡しさせていただきました。
廊下には生徒さんが折り鶴を折り、6年生が糸に通してまとめている様子が掲載されており、平和学習に熱心な学校だと感心しました。
早速感想文も届いたので、その一部をご紹介いたします。
<感想文>(一部抜粋)
『ぼくは原爆症はすごくこわい病気だと思いました。そしてまた戦争が起きて放射能とかを放たれたら平和じゃなくなってしまうので、今ちゃんと生きれるのがいいんだなーと思いました。』
『わたしは世界から武器や苦しみが消えるといいと思いました。そして戦争がなかったら佐々木禎子さんも川野さんもその他の子どもたちも平和に暮らせたのかもしれない。そうしたら苦しむ人もいない。家族とはなれもしないから、そのほうがいいとわたしは思います。』
『わたしのおじいちゃんとおばあちゃんもたまに戦争の話をしてくれます。わたしは6年竹組の行動におどろきました。竹組のみんなから始まった取り組みが世界まで行くなんてすごいなと思いました。これからも取り組みを応えんします。そして禎子さんは何も悪いことをしていないのに亡くなったことで、戦争は行けないなと思いました。』