教職員の方々の「夏の学習会」
8月10日、国立追悼平和祈念館で、教員の方々へ原爆の子の像と6年竹組のお話をしました。
以前私が講話をした尾道三津木中学校の先生から、所属している教職員の団体の「夏の学習会」でお話ししてもらえないかと言われたことがきっかけでした。
他県から志願して広島に赴任され広島の事をもっと知りたいと思い参加されたお若い先生や、毎年原爆の子の像へ折り鶴を捧げているという退職された方など、幅広い方々が参加されました。
毎年折り鶴を捧げられているという方から「今までは何となく折っていた折り鶴だったが、折り鶴を折る事の意義を考え直しました」というお話や、ある中学校の先生からは「体験された方からの話を聞いたのは初めてだった。平和に対して改めて深く考えようという心境の変化があった」というお話しをいただきました。
質問をいくつか受けましたので、その一部をご紹介いたします。
Q 差別はあったのか。
A 私自身にはなかったが、東京に行った私の友人は被爆しているということを理由に交際を断られるということがあった。
Q 禎子さんがシンボル的な扱いになっているが、それについてどう思うか。
A 原爆の子の像が作られた発端は、禎子さんの死について「何かしたい」という6年竹組の生徒達の思いの強さではあったが、立ち上がり、その活動を諦めずに続け、先生方のご協力もあったことで、結果として建立できた。
発端は禎子さんの死だとしても、活動していく中で市内の小中高校生も関わり「広島平和をきずく児童生徒の会」が発足するなど、被爆を体験したみんなの思いで平和のシンボルとして作られたものだと思う。
先生方に興味をもっていただき、このようにお話しが出来て良かったです。
先生方から子供達に伝えていっていただけたらと思い、折り鶴ノートを10冊お渡しさせていただきました。