語りの部屋

2022.8.02

基町高校の感想文

7月7日に訪問した、基町高校から感想文が届きました。

流石高校生という、読み応えのある感想文でした。

一部をご紹介いたします。

 

【感想文(一部抜粋)】

「原爆の子の像が、寄付だけで建立されたことを初めて知った。改めて写真を見て、空に向かって両手で折りづるを掲げているのが、平和な未来への希望を見ているように感じた。540万円もの寄付が集まったことは、本当に驚いた。生徒たちが主体となって動く力、子供だからと何も出来ないわけじゃない、私達にも平和のために出来ることがあるのだと気付かされた。」

 

「もし私の友達が原爆で亡くなってしまったら、悲しみに暮れるだけで何も行動できなかったと思います。佐々木禎子さんの級友の方々の行動力が世の中を変えることにつながったことを思うと、行動することの大切さをしみじみと感じました。原爆は投下された後まで深い傷を残す恐ろしいものだと痛感しました。今、平和が揺らいでいることに強い危機感と恐怖を感じました。広島に暮らす一員として、平和の大切さを後世に伝える義務を果たしたいです。」

 

「小・中学生の時の平和学習で佐々木禎子さんについてはたくさんのことを学びましたが、こうして実際に級友だった方のお話を聞くのは初めてだったので知らないことが多くありました。原爆の子の像は本当に子供達が主体となってお金を集めて、協力をお願いして…大変な苦労があったのだとよく分かりました。高校生になり広島市外から来る人と交わり、平和学習の温度差をとてもよく感じています。これが広島県外になるともっともっと原爆を知らない人がいるのだろうなと思います。そんな場に直面した時に、これまでの平和学習をしてきた広島人として、原爆について、平和について、しっかり伝えていかなければいけないなと強く感じました。」

 

「私は、小学校で一度、川野さんのお話を聴いたことがあります。戦争というものを知らなかった私にとって、とても衝撃を受けるお話でした。そのころから原爆のことに興味を持ち、小学校の図書館で「折り鶴の子どもたち」という本を読みました。初めて読んだときは本当に胸が苦しくなりました。それから、何度もその本をかりて読み返しました。川野さんのお話や本の内容は今でもずっと覚えています。高校生になって、改めてお話をきいて、より鮮明に思い出して、涙が出そうになりました。川野さんのお話の中の、赤血球と白血球のお話は昔、本で読んで、禎子さんの気持ちを考えて涙が出て、一番心に残っていたお話でした。今日、禎子さんとその級友の皆さんのお話をきいて、私たちはこのお話を伝えつづけていかなければならないと、改めて思いました。広島に生きる子どもとして、これからも原爆のことを知り、原爆のことを知らない人や後の世代の人々へ伝えていけるよう、平和学習に力を入れていきたいと思います。」

 

「佐々木禎子さんは小学校の頃から知っていましたが、禎子さんと同じクラスで、「原爆の子の像」の活動に携わった方のお話を聞くのは初めてでした。平和講演会というと、被爆体験が多く暗い気分になりがちですが、川野さんのお話は、禎子さんとの学生時代や像の完成までの道のりも含まれていて、原爆への恐怖よりも原爆で大切な人を失うことの悲しさ、大きな目標でも地道な努力を続けて成し遂げることの素晴らしさを学ぶことができる、新しい体験になりました。小学生の頃に頂いた折鶴ノート、大切に保管しています。」

 

 

 

また下記のような質問をいただいたので、この場で私なりの考えをお伝えしたいと思います。

【質問】

Q1

広島で生まれ育った私達高校生に川野様の立場から望むことが何かあれば、お聞きしたいです。

 

A1

語り継ぐ大切さを大事にしたいと思いますので、私から望むというより、私の体験談を心のどこかに止めていただき、機会があったら話題にしていただければ幸いです。

 

 

Q2

「命の尊さ」とは何でしょうか?命を大切にする気持ちはどこから生まれてくるのでしょうか?川野さんはもし、ずっとお見舞いに行っていたらどうなっていたと思いますか?原爆の子の像は建っていたと思いますか?『命の尊さ』を理解したくて書きました。

 

A2

「命の尊さ」重い言葉ですね。

これから長い人生を歩んで、いろいろな人との出会い、いろいろな出来事を重ね、少しずつ分かってくるものだと私は思います。

 

学生時代は、新しい出会いや、新しいことを知る為に学ぶ時代。

成人になり仕事に取り組む時代は、学んだことを世の中に生かしていく時代。

そして、私のように仕事を終えた時代は、学んだり、経験した多くのことを自分なりの方法で、世の中にお返ししてゆく時代です。

 

そうやって私たちが生きていく長い年月の中で、命を大切にする気持ちが生まれ、命の尊さも感じ取ることが出来るようになってくるのではないでしょうか。

 

ずっとお見舞いに行っていたら原爆の子の像は建立されなかったかどうかは分かりませんが、いろいろな出来事や経験が人の心に作用し、力になる事があると思います。お見舞いに行っていたとしても、禎ちゃんの死が、何かしら私たちに影響は与えたことでしょう。