吉島東小学校の感想文
2月2日に「原爆の子の像 語り部の会」の福原静子さんにお話をしていただ吉島東小学校から感想文が届きました。
感想文の一部をご紹介いたします。
<感想文>(一部抜粋)
『私は恐らく、今回のような会を一度も体験したことがないと思います。今は、欲を言うのならばもう一回、三時間くらい話をじっくり聞きたい、そんな思いです。怖くて、恐ろしかったけれど、それでも、広島に生まれた1人の人間として、このことは聞かなければいけない。そう思い、メモに書き進めていきました。私は本当に今日の会で様々なことを考えられて、これから自分はどう生きて行くか、そんな普段考えないようなことも考えました。被爆者に話を聞けるということは、私たちの世代が最後、そのくらいになるかもしれないので、今回のことを覚えて、次の世代へ、つないでいきたいです。』
『語り部の福原静子さんの話を聞いて、原爆の悲惨さや川野さんが佐々木さんのことを思う気持ちが伝わってきました。佐々木さんや他の原爆で亡くなってしまった子ども達のために、慰霊碑をつくろうとお金を集めるということをしった時には、川野さんと佐々木さんの友情はつよいものだと思いました。これからは、今日聞いたことを忘れず、次の世代へ伝えていきたいです。』
『私は今まで、佐々木禎子さんのことは知っていたけど、川野さんのことはあまり知りませんでした。今日は、禎子さんの昔について教えてもらいましたが、私が思っているのと全然違いました。知っていたことは、まず、禎子さんは小さい頃に被曝して、6年生で白血病になって、死んでしまったという感じでした。しかし今日聞いたことは、禎子さんの昔の学校生活や、周りの人のことなど、色々なことを知れました。秋の大運動会のことはすごかったです。これが団結力なんだと思いました。中でも一番心に残ったことは、募金活動です。なぜなら、私がもし友達だったら、募金活動まではしなかっただろうし、思いつかなかったと思います。なので、友達は勇気があってすごいと思いました。また、「これは僕たちの叫びです。これは私たちの祈りです。世界に平和を築くための」というところも印象的でした。今までその言葉は知っていたけど、禎子さんのことや友達のことを聞いた後に聞くと、なぜか違うように感じました。とにかく今日は、禎子さんの昔のことを知れて、いい機会になったと思います。これからは、もっと興味を持って、調べたりして、伝えることもやっていきたいと思いました。禎子さんたちのことを知れて良かったです。』
『お話を聞いて禎子さんや川野さんやクラスの人たちや先生などの人たちの気持ちがよくわかったし苦しさもよく伝わりました。 私は小さいころから、戦争をやってもいいことは起きないし、戦争は人を殺すこともするかもしれないし、みんなに迷惑がかかるから、これからは戦争をしないで欲しいなと思っていますが、ロシアとかでまた戦争になって、さらにこの話を聞いて戦争がもっと怖くなってきました。(中略)戦争をしたら、お金が減るし商品の値段も高くなる可能性があるから戦争はしてほしくないと思いました。これからも、私たちには戦争をしないための工夫とかはできるかわからないですけど、戦争をしないようにみんな仲良く生きて平和でいたいです。』
『私は、以前6年竹組の事について書かれていた、本を読んだことがあります。原爆のことをきっと思い出したくないはずなのに、川野さんは原爆のことを文章にして伝えてくれて、すごいなと思いました。どうしてかというと、私がもし川野さんだったら「どうして、あんな辛い記憶を思い出さなきゃいけないの!? 忘れたいのに忘れられないじゃん。どうせ、原爆のことについてそんなに知らないし、興味もないくせに!」と思うからです。また、語り部になるのを拒否したり「語り部をやってください。」と言われても断ります。なのに、辛い原爆のことを思い出してわざわざ、私たちに語ってくれるのは、本当に勇気があるんだな、と思いました。(中略)私は、来年の8月6日の作文に今日、教えてくださったことを参考にして、文章を書こうと思いました。原爆のことを直接聞かせてもらえるのは私たちの世代が最後、とおっしゃっていたので、来年の8月6日の文章で、私たちより下の世代の伝えていきたい、と思いました。川野さんや福原さんへの感謝のつもりで、作文を来年書きたいです。』



