吉島小学校の平和学習
1月16日、吉島小学校で平和学習が行われ、5・6年生の生徒さん108名がお話を聞かれました。
吉島小学校は自宅からも近く、孫が通った学校でもあったのでいつも前を通りますが、学校に入ったのは何十年ぶりかで、とても懐かしく感じました。
急遽日程が決まったので、今回は私がお話をさせていただきました。
半年ぶりの講和だったので声がしっかりでるか不安でしたが、子供たちが真剣な眼差しでこちらを見ながらお話を聞いてくださっている姿を見て、いつも通りにお話することが出来ました。
事前に生徒さんの人数分折り鶴ノートをお渡ししていたので、お話の最後に折り鶴ノートのご紹介もさせていただきました。
最後に子供たちから質問がたくさん出たので、興味を持って話を聞いてくれたのが伝わり、とても嬉しく感じました。
その質問の一部をご紹介いたします。
【質問】
Q. 禎子さんと仲良しになったきっかけは何ですか?
A. 背の高さが同じだったので、背の順に並んだ時に前後で、よく話していました。また、お互いスポーツが得意だったので、互いに一目おいていました。ただ、禎ちゃんが何をやってもナンバーワンだったことは間違いありません。
Q. 禎ちゃんとの一番の思い出は何ですか?
A. たくさんあり過ぎて一番を選ぶのは難しいですが、やはり秋の大運動会で優勝した時ですかね。あの時の感動はひとしおでした。
Q. 禎ちゃんが今生きていたら、一緒にしたいことはありますか?
A. あの当時は、今を生きることに精一杯で、将来の夢についてはほとんどしませんでした。
もし今生きていたら、スポーツ関係の仕事をしているかもしれませんね。
Q. 像を造る時に感じたことはありますか?
A. 街頭募金をするのに、街中で並んで声を出すのは恥ずかしかったです。中学に入りクラブ活動に励む子もいましたが、結果的にはみんなでやり遂げました。
Q. 像を造るのは大変だったと思いますが、どうしてあきらめなかったのですか?
A. クラスの1/3は被爆者で、「もしこれが自分だったら」という思いの子が多く、禎ちゃんのことは自分のことでもありました。禎ちゃんがかわいそうという強い思いが、禎ちゃんのためにやり遂げないといけないという気持ちにかわったからです。
Q. 川野さんにとって、この像はどんな存在ですか?
A. 私にとっては、禎ちゃんそのものです。
Q. 原爆の子の像の左右にある2人の像は誰ですか?
A. てっぺんにいるのは原爆で亡くなった子どもで、その下の2人は全国の子どもたちという思いで作られたのだと思いますが、私達6年竹組の仲間は、てっぺんにいるのが禎ちゃんで、その下の2人は6年竹組の私達だと思っています。
Q. 原爆の子の像を今まで何回位見に行きましたか?
A. 語り部を始めて30年、年間20~30回行ってきました。その都度原爆の子の像のところに行っています。また、8月6日の平和式典の日は必ず朝6時頃から平和公園へ行っています。それらを合わせると恐らく1,000回位は行っていると思います。
ただ、高校生の時はほとんど行きませんでした。それは、禎ちゃんのことを思い出すのが嫌で、とても辛い時期だったからです。
Q. 何で高校の時は思い出したくないと思ったのに、今は話しているのですか?
A. 53歳の時に、禎ちゃんのことを話すきっかけをもらい、禎ちゃんのことが忘れられないように、自分が話さないといけないという使命感を感じるようになりました。
ただ、そのような気持ちになれたのも、月日が経ち、気持ちにもゆとりができて、禎ちゃんの死を受け入れられるようになったからだと思います。
Q. 8月6日は川野さんにとってどんな日ですか?
A. 家族を亡くし、親友を亡くし、そして多くの人が亡くなった、辛く悲しい特別な日です。
Q. 平和とは何だと思いますか?
A. 違いを許し合えないところに争いが起こるのではないでしょうか。
Q. どんな想いで語り部をしていますか?
A. 禎ちゃんは生きたかったのに生きられなかった。でも私はこうして生かされています。私の体験を話すことで、それを聞いたみなさんがどんな小さなことでも、行動を起こして欲しいと願っています。
平和はすぐ隣にあります。お互いに意見が違う時でも「みんな違ってみんないい」と、他人の意見を受け入れられるようになれば、世界平和になると思っています。
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当日生徒さんからいただいた感想の一部をご紹介いたします。
【生徒さんからの感想】
『「大きなことはできなくても、小さいことでもやることが大切」という言葉は知っていても「小さいこと」の意味がわからなかったけど、川野さんの話を聞いて、小さな活動でも始めて続けていけば大きな成果になることがわかりました。』




