五月が丘中学校の感想文
10月23日に訪問し、「原爆の子の像 語り部の会」の高村知代美さんにお話をしていただ五月が丘中学校から、感想文が届きました。
感想文の一部をご紹介いたします。
<感想文>(一部抜粋)
『話を聴いて原爆の子の像が作られた理由を前よりもっと詳しく知れました。特に心に残ったのは、禎子さんと6年竹組のきずなでした。禎子さんのために竹組のみんなで何かしてやれないかと考える、自分たちもこんなクラスを目指そうと思いました。自分たちが出来ることは、今日聴いた話を忘れることなく、今後につなげることだと思いました。』
『平和のために、自分は小さいことから始めようと思いました。例えば困っている人を助けたり、さみしい一人でいるそんな人によりそってあげて平和に貢献出来たらいいなと思いました。他にも相手を尊重したほうが平和につなげることができるんだなと思いました。私も6年竹組のみなさんみたいに、友達思いで団結していたりするクラスになっていきたいなと思いました。』
『お話を聴いて、僕はまた一つ平和について知りました。僕は小学一年生から今までずっと平和について学習してきました。ですが今日のお話は一味違い、戦争のつらさや命の重みを感じました。』
『どんなに小さい言い争いでも、大人になって権力を持ってしまったら、それは戦争になるということを今回のお話を聞いて、改めて感じることが出来ました。平和のためには相手を尊重し、認め、戦争について詳しく知ることが大切だと思います。』
『川野さんが最後に話していた「みんなちがって、みんないい」という言葉に心を動かされました。これから私は自分と違う考えの人と対立した時に、川野さんのお話を思い出して、相手の考えも尊重していきたいです。』
『高村さんの声のトーンや間の取り方、すごく聞きやすくて内容がスッと頭に入ってきました。今日お話を聞いて、これから大切にしていくことが見つかった気がします。』
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また、感想文の中で高村さんと私宛に質問をいただきましたので、こちらで回答いたします。
<高村さん宛の質問>
Q. いつ川野さんに知り合ったのですか?
A. 2023年の夏です。
Q. どうして伝承者をしようと思ったのですか?
A. 若い頃「原爆の子の像と折り鶴の会」に入っていましたが、途中でやめてしまい悔いが残っていました。
Q. 川野さんのお話を聞いて、どんな気持ちになりましたか?
A. 「6年竹組とその仲間たち」は、佐々木禎子さんとの楽しかった思い出と彼女を失った悲しみや悔しさ。そんな複雑な思いを抱いていたからこそ、「原爆の子の像」を建立することができたのだと感じました。
Q. 年にどれくらいお話ししていますか?
A. 私は年に4~5回ですが、「原爆の子の像 語り部の会」全体では年40回程度お話をしています。
Q. どんな思いを大切に講演を行っていますか?
A. お話を聞いて平和について考え、自分には一体何ができるだろうかと考え、行動するキッカケにして貰えればと思います。
Q. 高村さんの考える平和とは、どんなものですか?
A. SDGsの目標としている方向に進むことでしょうか。
Q. 戦争がなくなり世界平和を実現できると思いますか?
A. できると思います。
私が生きている間は難しいかもしれませんが、皆さんの時代には実現できることを願っています。
Q. 伝承者をしている内に、心の変化や知識の変化などはありましたか?
A. あります。
お話を聞いてくださる皆さんのたおやかな心に感動しています。
※たおやか:しなやかでやさしい
Q. 伝承者をやっていて、楽しいことはありますか?
A. お話を聞いてくださる皆さんの真剣な眼差しや姿勢からエネルギーを貰っています。
Q. これからも伝承者を続けていきたいと思いますか?
A. はい。元気で声が出る間は続けたいです。
<川野宛の質問>
Q. 6年竹組はどんな感じのクラスでしたか?また、野村先生はどんな先生でしたか?
A. とにかく元気で活発なクラスでした。男の子も女の子もみんな仲が良くて、私は学校にいくのがいつも楽しみでした。
野村先生は厳しい先生でしたが、日曜日には先生のお家に行ってよく遊んでいたので、その時は優しい先生でした。先生の奥さんがお昼にふかし芋(サツマイモを焼いたもの)を食べさせてくれました。
Q. 禎子さんは50mを何秒で走っていましたか?
A. はっきり覚えていませんが、7秒台で走っていたと思います。
Q. 禎子さんはどうやって白血病のことを知ったのですか?
A. 入院中、禎子さんとは原爆のことは一切話をしなかったので、禎子さんがどうして知ったのかはわかりません。
Q.( 禎子さんの形見として)持って帰った折り鶴はまだ持っていますか?
A. 70年も前のことなので、私を含めほとんどの人が持っていません。6年竹組の仲間の2名は持っていましたが、二十数年前に原爆資料館に寄贈しました。今でも原爆資料館にはその鶴が展示されています。
Q. 30年活動を続けてきて、辛くなったりすることはありませんか?
A. 初めの頃は話すたびに涙が出て、辛かったです。今では原爆の子の像の建立の話は体験した私でないとできない、伝えることが私の使命のような気がしています。
Q. 伝承者という仕事は何か資格がないとできない仕事ですか?また、それは中学生でもできますか?
A. 私たちのグループは「資格」という堅苦しいものではないですが、2年近く私の思いをお伝えし、勉強していただいた方に「認定証」をお渡しして伝承をスタートしていただきました。他の団体でいうと、広島市では2~3年体験者から話を聞いてから伝承をされているそうです。
そもそも伝承は仕事ではなくボランティア活動なので、伝えていかないといけないという思いのある方であれば、中学生の方でも可能です。
Q. なぜ折り鶴ノートを折り鶴を使って作ろうと思ったのですか?
A. 十数年前、平和公園に世界中から寄せられる折り鶴があまりにも多く、願いの込められた折り鶴なだけに捨てるわけにもいかず、広島市が保存場所に困っているというニュースを見ました。そのニュースがヒントになって、折り鶴が形を変え、学習ノートとして子供たちに活用されることで、平和を考えるきっかけとなり、平和の心を育んでもらいたいと願い制作しました。


