ハワイの高校生との対談
8月8日、シェラトンホテルでハワイから来た高校生と対談をしてきました。
ハワイでは多くの方が禎子さんのことを知っているそうで、今回来られた高校生も禎子さんについて大変勉強されていたので、いつものような講和ではなく通訳していただきながら質問にお答えする形で行いました。
高校生からの質問をいくつかご紹介いたします。
Q 佐々木禎子さんの話はなぜポピュラーになったと思いますか?
A いくつか考えられると思います。
・「原爆の子の像」という形になった事
・建立された資金源が子供たちの寄付であった事
・病床で折り続けた折鶴の話が広まった事
・中学生の多感な時期に「団結」して「継続」した「実行力」
禎子さんのお話が広まることで、多くの方が平和について考えてくださればと思います。
Q 禎子さんの生き方は自分自身をどう変えましたか?
A 禎子さんの死を聞いて「もし、自分だったら…」と怖くなりました。また、あまりお見舞いに行かれず、約束を破ってしまったという後悔の念がありました。そこで原爆の子の像を建立するという目標に向かって中学生時代を捧げましたが、この出来事は私達には辛く悲しい出来事として心に重くのしかかり、建立後は禎ちゃんのことを話さなくなりました。
それから35年後、講和で禎子さんの話をするよう依頼がありました。話をするか大変悩みましたが、担任の先生や母からの後押しがあり「自分は生かされている」「私が話すことで、禎子さんや兄たちだけではなく原爆で亡くなった人たちへの供養となる」と思い、お話を引き受けました。以来30年間も語り部として続けてこられたのは、「平和」「生命の尊さ」を伝え続けることが、禎子さんの死を大切にすることだと考えているからです。また、伝え続けることを途絶えさせないために、私のお話を伝承してくださる方を育成し、現在は「語り部の会」として12名の方に語り継いでいただいています。
Q もし禎子さんが生きているとしたらどうしますか?
A ハグしますね。禎子さんも私と同じだと思ので、一緒に平和活動をすると思います。たぶん私以上の活動をするでしょうね。
Q 平和に関心のない人をどのように説得したらいいのでしょう?
A 即効薬的な得策はないですが、漢方薬のように地道に継続していくしかないと思います。今回被団協がノーベル平和賞を受賞しましたが、それも今まで活動を続けてきた努力の賜物だと思います。
Q 戦争の原因は誤解でしょうか?憎しみでしょうか?
A 話し合いをせず相手の言葉に耳を傾けないで、自己主張や自分の意見の押し付け合いをして、相手を認めようとしない態度なのではないでしょうか。
Q 本当に世界を平和にできるでしょうか?
A すぐにはできないかもしれませんが、歩みを止めないことが大切だと思います。私自身寿命や年齢を考えるとできることは限られますが、私は私のやり方で禎子さんの話を伝え続けていきたいと思います。私はいつも「みんな違ってみんないい」の言葉を大切にしています。例えば、学校での喧嘩も「あいつが悪い」となれば喧嘩になりますが、「僕はこう考える、相手はこう考える」と、自分の考え方ばかりを主張するのではなく話し合い理解することで、争いごとは起こらなくなります。
若い方々に今後も平和の大切さが伝わっていくよう、例えば先生は教育の現場で、政治家は政治の世界で若い方々につなげていき、世界が平和になることを願います。
Q ハワイへ持って帰るメッセージをお願いします。
A 禎子さんの話を聞いて「可哀そう」ではなく「団結」「継続」の大切さを知ってもらいたいと思います。また、今から80年後には世界はどうなっているかを想像してほしいです。「広島は70年は草木も生えない」と言われていましたが、今ではこんなにも発展しました。今後この発展してきたものをどのように活用していくかを想像し、そのためにも平和であることが大切だということを忘れないで欲しいです。
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また、当日同席いただいた「語り部の会」の高村さんから感想をいただいたので、ご紹介いたします。
『集団に対する講話ではなくハワイの高校生2名とその引率教員、プログラム引率者、通訳者という少人数での座談会形式でした。
平和問題に対してとても意識の高い女子高校生2名からは関心の高さが伺える質問がいくつも繰り出されました。
質疑応答だけではなく濃密で貴重な意見交換の場となり大変圧倒されました。』
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今回の対談がハワイでの平和学習に活かされることを希望します。



