語りの部屋

2023.2.10

ボランティアガイドの方への講話

2月2日、追悼平和祈念館で平和公園を案内されているボランティアガイドの方々に、原爆の子の像と六年竹組のお話しをしてきました。

ガイドの折に必ず「原爆の子の像」の説明をしていらっしゃるそうで、みなさんとても熱心に聞いてくださいました。

様々な質問が出たので、その一部をご紹介いたします。

 

■原爆の子の像のデザインはどうやって決めたのですか?

「広島平和をきずく児童生徒の会」で決めたのだと思います。
その頃まだ私達は中学1年生だったので、募金活動には参加していましたが、像の制作などは「広島平和をきずく児童生徒の会」の上級生が主体となって進めていたため、そこには参加していませんでした。
模型ができた時に初めてその像の全容を見せてもらいました。
像の上に立つ少女は原爆でなくなった多くの子供達の象徴ではありますが、6年竹組の私達みんなはその少女は紛れもなく禎ちゃんだと思いました。
■像が立った後から語り部をするまでは、何か平和活動をしていましたか?
河本さんがつくられた「折鶴の会」に誘われましたが、小学校6年生の時から4年近くも「原爆の子の像」建立に関わってきたので、もう解放されたいという気持ちがどこかあり、参加しませんでした。
河本さんは建立後も像の周りを清掃されたり、重ねて置かれていた折り鶴をきれいに整理されたりして、像を守ってくださっていました。今ではとても感謝しています。
■禎ちゃんは歌が好きだったそうですが、何の歌を歌っていましたか?
当時流行っていた美空ひばりの歌をよく歌っていました。

ボランティアガイドの皆さんを通して「原爆の子の像」の建立について、旅行者の皆さんに届くことを願っています。