広島大学附属東雲小学校の平和学習
7月8日、広島大学附属東雲小学校で平和学習が行われ、3年生70名の方がお話を聞かれました。
今回は「原爆の子の像 語り部の会」の原紺充さんにお話をしていただきました。
最後に折り鶴ノートの紹介をしていただき、ノートを全校生徒さん分お渡ししました。
当日生徒さんからいただいた感想をご紹介いたします。
【生徒さんからの感想】
・今、私たちが元気で生きていることは奇跡だと思えました。平和は大切で、今生きている人たちは平和な世の中に生きていることが分かったので、大人になったらもっと頑張っていきたいです。
・川野さんたちがチラシなどを作って一生懸命頑張って原爆の子の像が出来たのだとわかりました。
・今僕たちがいる世界は平和で幸せだと思いました。
・とても心に残り、原爆のひどさは知っていたけど、子どもたちが苦しんだことは知りませんでした。
・自分の命、人の命を大切にして、今生きていることを感謝し、これからもずっと生きていこうと思いました。
・今生きていることが尊いことだとわかりました。
・話を聞く前に、一番苦しむ人は大人の人かなと思っていたのですが、話を聞いて禎子さんや川野さんたち子どもも苦しみがあったのだと知りました。
・原爆が落とされた時僕が近くにいたら、皮膚とか焼かれて骨だけになっていると思うので
禎子さんやみんなの気持ちもわかるなと思いました。
・原爆の恐ろしさは知っていたけれど、このお話を聞いて、原爆が落ちた後も子どもたちも大人も苦しさが続いていたということがわかりました。
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また、生徒さんからの質問がありましたので、当日回答した内容と持ち帰らせていただいた内容をあわせて、こちらでご紹介させていただきます。
【質問】
■原爆の子の像について
Q. なんで原爆の子の像はこのような形なのですか?
A. 原爆の子の像は、世界中の子どもたちの平和への願いがこめられています。
「もう戦争や原爆をくり返さないで」という願いを世界へ届けるため、像の頂上で女の子が折り鶴を高くかかげていますが、私達6年竹組のみんなは、あの女の子は禎ちゃんだと思っています。
また、像の台座中央にあるアルファベットの「V」マークは、私は羽を広げた折り鶴を表していると思っています。
台座の周りの少年少女の像は、原爆で犠牲になったたくさんの少年・少女を象徴しているそうです。
3本の足は、未来や希望へ向かって伸びていく願いを表しているそうです。
Q. 原爆の子の像の高さは何mですか?
A. 頂上の女の子の像までが9mです。
Q. 川野さんたちはどうやって子どもたちだけでできたのですか?
A. 禎ちゃんのために何かしたいという思いから行動を始めました。河本さんという青年からの「慰霊碑を建てよう」という呼びかけに賛同し、自分たちでお金を出し合ってビラを2000枚作成。全国中学校長会議で寄付を呼びかけ、全国から募金が集まりました。その後、この運動は広島中の児童生徒へ、さらに全国の子どもたちへと広がり、「広島平和を築く児童生徒の会」が結成されました。こうして子どもたち自身の力で募金活動を進め、「原爆の子の像」の建立が実現したのです。
■原爆について
Q. 広島に原子爆弾が落とされた後もまだ攻撃が続いたのはどうしてですか?
A. 広島と長崎に落とされた原子爆弾は、使用された核物質、起爆方式、そして被害規模に大きな違いがあり、アメリカはその原子爆弾を莫大な予算を掛けて作っていたので使いたかったと言われています。
Q. 原子爆弾は何でできているのですか?
A. 広島はウラン、長崎はプルトニウムが原料です。
Q. 黒い雨はどうして降るのですか?
A. 高温になり水蒸気が発生して積乱雲が発生し、放射線を含んだ地上のちりやほこりが巻き上げられ雨と一緒に降ってきたそうです。
■当時の様子について
Q. 原爆が落とされたら防空壕に逃げていましたか?
A. 各家庭の家には防空壕があって空襲警報が鳴ったら入っていました。
実際、防空壕に入ってもかえって蒸し焼きになってしまうなど、苦しい事もありました。
Q. 段原は比治山が陰であまり被害が出なかったと聞いたことがあるのですが、段原は黒い雨が降ったのですか?
A. 段原に降ったのかはわからないのですが、隣の皆実町は降らなかったと被爆者の方は言われています。黒い雨の地図を調べてみるとわかると思いますが、西や北に多く降ったと言われています。
■原爆症について
Q. 放射能が身体に入ったら病気になるのですか?
A. 放射線がたくさん体にあたると、体の中の遺伝子(DNA)が傷つくことがあります。多くは体が治しますが、うまく元通りにつながらないと細胞が正しく働けなくなり、がんや白血病などの病気になることがあります。
Q. 禎子さんは何の病気で亡くなったのですか?
A. 白血病で亡くなりました。
白血病が発生するのは、被爆後7~8年後にピークあり、被爆時の年齢が若いほど、発生率が高いと言われています。禎ちゃんは2歳の時に被爆して、12歳まで元気だったのに、白血病で亡くなりました。
■その他
Q. 今、禎子さんはどこのお墓に入っておられるのですか?
A. ご実家がお引越しをされた先の福岡県にお墓があります。
6年竹組の有志で、一度お墓参りに行きました。
Q. 川野さんのお兄さんの骨は、大河小学校を掘ったら出てくると思いますか?
A. 広島平和公園の原爆供養塔に入っていると信じたいです。
Q. 最近、供養塔の中に入っているお骨からDNA鑑定して家族とわかったと聞いたのですが、皮膚とかがないのにどうしてわかるのですか?
A. 髪の毛でDNA鑑定を行うそうです。骨壺に入っている813体の名前のわかっている骨壺を全て開けて、実際52体の髪の毛が発見され、お名前と共に公表されました。
Q. 川野さんは禎子さんのように小さい頃、そして現在病気をされていますか?
A. 私は長い間元気でしたが、1年前に乳がんを発症し、原爆の後遺症と認定されました。現在は治療中です。
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お話をしていただいた原紺さんから感想をいただきましたので、ご紹介いたします。
【原紺さんからの感想】
まだ、戦争や原子爆弾のことを学習していない、小学校3年生へのお話でしたが
メモを取りながら、熱心に集中してお聞きくださり、質問や感想を多くの生徒さんがしてくださり感動いたしました。
感想には命の尊さや、今生きていることへの感謝、今生きていることを大事にしていく事、そして大人になって大切にしたいことなどについて、禎子さんや川野さんたちの生き様から感じておられるのが印象的でした。
また、先生が生徒さんへ下記のようにお話ししてくださいました。
『「原子爆弾で命を落としてしまう」「禎子さんや川野さんのお兄さんが亡くなってしまう悲しみ」で涙が出てきました。また、6年竹組の力を合わせたお話は元気と勇気をもらい、頑張っていこうというパワーをもらいました。』
彼らがまた、周りの方へ伝えていってくださると感じました。



