広島僧侶の会の平和学習
7月7日、本願寺広島別院にて自死に向き合う広島僧侶の会主催の「自死に向き合う僧侶・宗教者の会」全国交流会が行われました。
全国各地から集まられた、自死についての活動をされている18人の僧侶・宗教者の方がお話を聞かれました。
今回は、私川野がお話をさせていただきました。
会場には、折り鶴を折り続けた禎ちゃんの思いに感銘を受けたアメリカの芸術家ジェフリー・ブラウン氏が制作した「二千羽の禎子さん折り鶴肖像画」という折り紙の貼り絵が展示されていました。
2007年から5年がかりで制作されたそうで、濃淡が異なる11種類の折り鶴で立体的に禎ちゃんの顔を浮かびかがらせてあり、完成度の高さに驚きました。
折り鶴ノートのことを知っていただくために、ピースマインズの案内文と折り鶴ノートを10冊お渡しさせていただきました。
会場となった本願寺広島別院は爆心地から1.15kmと近く、原爆の熱戦と爆風で黒焦げになったそうです。
そのような中、奇跡的にこのソテツは新芽を出し、現在も被爆樹木として保護されながら、境内で力強く生きていました。
また、境内に立つ石燈籠には、被爆の跡がくっきりと残されていました。
また、当日下記質問をいただき、その場でお答えさせていただきました。
【質問】
Q. 先生が連れて来られた青年はどんな人ですか?
A. 当時は子供だったので詳しくは知りませんでしたが、後年聞いた話では、河本さんも被爆者で、原爆や戦争反対に強い思いを持った平和活動家だったそうです。原爆の子の像の建立後も「広島折鶴の会」を作って、平和公園へ送られた折り鶴が像の周辺に山積みにされていたのを、清掃する活動を長くされていました。
Q. 何故、禎ちゃんの話をしなくなったのですか?
A. 原爆の子の像の建立後、禎ちゃんの事が小説や映画になってもてはやされました。メディアではいろいろな取り上げ方をしていましたが、本当の禎ちゃんの事を知っていたのは団結の会の私達だけという思いがあり、思春期の私達にとっては、辛く悲しい出来事として、心に重くのしかかりました。
また、多くの取材の中で、六年竹組の自死した子に対し中傷的な記事が出たこともあり、禎ちゃんや原爆の子の像のことをもう話すまいとクラスで決めた訳でもなかったのですが、誰もが口をつぐみました。
Q. 現在はSNSが主流なので、対面での話が不得手になっている子供たちが増えている現状です。次世代の子供にどういう働きかけをすれば良いと思われますか?
A. 私は自分自身が体験したことをありのままにお話しています。
答えになるかわかりませんが、学校でケンカになるのは、意見のぶつかり合いが原因です。戦争も同じです。
子供の小さなケンカも戦争も、どちらも相手を受け入れないことで起こります。
私は、金子みすずさんの『みんなちがってみんないい』という詩が好きです。
肌の色、言葉、宗教、考え方の違いを認め合わなければ、ケンカになります。
なかなかすぐにできることではないですが、みんなが違うことを認め、相手を認める努力をすればよいと思います。
Q. 語り部を始めた時の気持ちと現在では、心の変化はありますか?
A. とても辛い話なので、お話をいただいた最初は仕方なく話していましたが、今は意義をもって話しています。
幼くして亡くなった親友禎ちゃんの話をすることで、平和の大切さ・命の尊さを伝えるのが私の役割であり、原爆で亡くなった多くの方達への供養だと思うようになりました。
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当日参加された方からは、
「81年という歳月が経っているのにそれを感じさせないお話しに感動した。」という感想をいただき、思いが伝わったことを嬉しく思いました。






