語りの部屋

2025.10.11

尾道市立百島中学校での平和学習

10月2日、尾道市立百島中学校で平和学習が行われ、全校生徒3名と先生1名がお話を聞かれました。

 

今回はこちらの学校の先生でもあり、「原爆の子の像 語り部の会」にも所属されている陶山光恵さんにお話をしていただきました。

 

感想を送っていただきましたので、ご紹介いたします。

【感想】

『原爆自体もやばいけど、その後に出てくる後遺症もすごく深刻で大変だったことがわかった。世界から核兵器がなくなると、このようなことがなくなると思いました。』

 

『もし私も今の歳で大切な友人を亡くしたら、すごく悲しいし辛いと思います。でも、そこで寄付のチラシを作って募金を集めたり色々な会を作るというのが、とてもすごいと思いました。そして、原爆はもう二度とあってはならないと改めて強く思いました。私も「団結と継続」を大事にしていきたいと思います。』

 

『竹組の「団結」する力と「継続」することが大切ということが私もよく分かります。私は現在、明治時代の北海道開拓の歴史を後世に継承するための取り組みを行っています。原爆の歴史を継承することが困難であることと同じ状況に直面しています。今こそ、若い人が高齢の方から過去の出来事を聴き、そこから現代に活かすべきことを見つけ、歴史を継承することが重要だと改めて思いました。今日は貴重なお話を聴かせていただきありがとうございました。』

 

『戦争や原爆のことは誰かが語り継いで残していかなければ、忘れ去られる過去の話になってしまうと感じています。実際に祖母から戦時中や福山空襲の時の話を聞いたことがありますが、私がその誰かにならない限り忘れ去られてしまうことがとても寂しいです。微力ではあっても、後世に伝えていくために自分に何ができるのか、とても考えさせられました。原爆の子の像は竹組の皆さんが級友に寄り添い、全国の人が竹組の皆さんの想いに寄り添ったことでできあがったものだと知ることができました。竹組の皆さんのよに、人に寄り添える人になりたいです。』

 

また、私への質問をいただいておりますので、こちらでお答えしたいと思います。

【質問】

Q.1 川野さんを爆風、熱線から守った蚊帳とはどのようなものですか?

昔はクーラーがなかったので、夏の暑い時は扉を全部開けっ放しにして、風が通るようにして寝ていました。その際、外から蚊やハエなどの害虫が寝床に入ってくるのを防ぐために、部屋の中に麻などの目の粗い素材でできたテントのようなものを、吊るしてその中に寝ていました。

「蚊帳」と聞くと白くて薄いものを想像される方もいらっしゃるかもしれませんが、当時使っていた蚊帳は抹茶よりもより深い緑色で、分厚く重く、吊るす作業は大仕事でした。

その蚊帳がタンスの前に立てかけてあり、小さな私の身体に覆いかぶさってきたので、かすり傷一つ追わず助かることが出来ました。

 

Q.2 辛い過去から目を背けたくなる時、どのように気持ちを切り替えて向き合ってこられましたか?

禎ちゃんの事を一人でも多くの方へお伝えすることで「戦争」のない平和な世界を創るためのお役に立ちたいと思いながら、子どもさんに向けて語り部を続けていますが、自分が話すことでみなさんから寄せられる感想文に、私が伝えたかったことがきちんと伝わっていると強く感じます。その感想文が励みでもあり、語り続ける力となっています。

 

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折り鶴ノートを生徒さんへ3冊、お渡ししていただきました。

私が伺えないところでも、こうやって禎ちゃんのお話が語り継がれていることを大変嬉しく思いました。