語りの部屋

2025.10.05

中筋小学校の感想文

9月8日「原爆の子の像 語り部の会」の高村知代美さんに講和をしていただいた中筋小学校から、感想文が届きました。

 

B4用紙いっぱいにお話の内容と感想を書かれており、中には裏面にまでびっしり書かれている生徒さんもいらっしゃいました。当日私は体調不良で伺えなかったのですが、しっかり聴いてくださったのが伝わりました。

 

感想文の一部をご紹介いたします。

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<感想文>(一部抜粋)

『原爆を体験した一人ひとりに込められた思いがあり、今でも願われているということが分かりました。原爆の被害を受けた人は「遊びたい」「学びたい」「話したい」という今では当たり前のことも叶わず、本当にかわいそうだと思いました。毎日毎日不安で、さみしくて、悲しくて、そういう人がいるのに、世界では核兵器を使っているのが許せないです。一人や二人ではなく、みんなで願い、みんなが幸せになれるような世界にしたいです。今日の学習を通し、もっとその願いが強くなりました。核兵器は人を危険にさらし、幸せをうばいます。世界平和のためにも、核兵器がなくなってほしいです。次は私たちが次の世代につなげていきます。』

 

『原爆の子の像の話を聞いて、原爆病のことや、川野さんのクラスがどれだけ努力をしたかを知ることが出来ました。これだけ罪のない人がぎせいになっているので、ぼくたちも伝えていかなくてはならないと思いました。また、8月6日に折り鶴を折るなどして、世界に自分のできる限りで原爆のことを伝えていきたいです。ちょっとずつでも友達と伝え合いたいです。』

 

『いろいろな人が協力して、原爆の子の像ができていてすごいと思いました。6年竹組にいた人は、みんなもっとできることがあったのにと思っているけど、私は中学生になってもお見舞いグループを作ってまでお見舞いをしていたというのが、とてもすごいと思いました。理由は小学校は毎日6年竹組のみんなと会えるけど、中学に上がるとなかなか会うのが難しいのに、会っていたからです。なので、佐々木禎子さんのことを大切にされているのだなと思いました。その後も募金活動にはげみ、一生けん命だったからこそ、原爆の子の像が出来たのだと思います。この学習で原爆の子の像がとても努力してできたことが分かりました。』

 

『教科書に書かれていないことを知れ、しかも直接話せたのでうれしかったです。「何十年経っても原爆のことが忘れられない」というところが心に残りました。なぜなら普通なら人間はすぐに忘れるのですが、原爆のことを忘れられないということはそれだけ恐ろしいことなんだなとあらためて思いました。また原爆についていろんなことを知りたいです。』

 

『体調はいかがですか?お話をしてくださった方から原爆のこと、戦争のことをお聞きして思ったのは、佐々木禎子さんは原爆病で亡くなってしまう時とてもこわくてつらかっただろうし、お見舞いしていた仲間たちも悲しい思いをしていただろうなと感じました。平和をみんなで守りたいですね。お体に気をつけてください。』

 

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また、ファイルの冒頭には、先生からのお礼が書かれていましたので、その中の一部をご紹介いたします。

 

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<先生からのお礼文>(一部抜粋)

『聞かせていただいたお話は、まるで80年前にタイムスリップしたかのように、映像が頭の中に浮かんできました。児童が自分事として捉え、考えていることが、側にいた私たちからも見てとれました。「禎子さんって友達がたくさんいたんだ」「病気が治らんってつらい。」自分と重ねながら、でも自分達とは明らかに違う過去の事実が、お話を通じて理解できたのだと感じました。児童は、真剣に聞かせていただいておりました。

児童の感想には「生き抜いてくださった人たちのお陰で、平和な今がある。」「原爆のことを忘れずにこれから伝えていかなければならに。」などの思いが書かれていました。

いただいた折り鶴ノートは、一人ひとり表紙の色合いが違うことに感激しておりました。「PEACE」の文字を確かめながら鶴を折ったり、丁寧に文字を書き留めたりする姿が、たくさん見られました。ありがとうございました。

私ども担任も、貴重な機会をいただけたことに感謝すると共に、聞かせていただいた話をしっかりと心に刻み、児童共々皆様の思いを受け継いでいければと思います。そして、次世代に被爆の惨状、平和の尊さ、命の大切さを伝えていけるよう、これからも引き続き学習を深めてまいります。』

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思いを受け継いでくださるという言葉をいただき、とても嬉しく思いました。

 

私の体調も年内には回復できる見込みです。年明けからは体調をみながら、少しずつ同行できればと思っています。