貝塚市立東小学校の平和学習
10月23日に平和資料館のメモリアルホールにて、貝塚市立東小学校の生徒さん107名にお話しをしました。
今回は私に代わって「原爆の子の像 語り部の会」の沖山洋子さんにお話をしていただきました。
初めての発表にも関わらず100名を超える生徒を前にお話しをされるのは大変緊張されたことと思いますが、生徒達は最後までしっかり聞いていて、思いが伝わっていると感じました。
折鶴ノートの紹介もしていただき、107冊お渡ししました。
講話の後、生徒からの質問は私がお答えしました。
その一部をご紹介します。
【生徒からの質問と回答】
Q. 「原爆の子の像」が建立された時の気持ちはどうでしたか?
A. やっと禎ちゃんとの約束を果たせたという達成感、やっとすんだという安堵感が、交差しました。
Q. 「原爆の子の像」が全国の子どもたちの募金だけで建立できたのは、どうしてだと思いますか?どうやって広まったと思いますか?
A. 原爆症で亡くなった禎ちゃんのクラスメートだった「6年竹組の仲間」の私達が、募金活動を諦めずにやり続けたたことがみんなの心に響いたと、思いたいです。
Q. 語り部をして、嬉しかったことを教えてください。
A. 話を聞いてくださった皆さんから感想文をいただいたことと、その内容が私が伝えたいことをしっかり受け止めてくださっている内容だったことです。
Q. 全国から捧げられた千羽鶴は、亡くなった方へどんな思いが込められていると思いますか?
A. 折鶴を折る時は、何も考えず無心になります。「戦争が起きないよう、平和な世界であるように!」と心がこもっています。1羽、1羽の折鶴に願いを込めて折られたものだから、尊いと思います。
Q. 野村先生の言われた「団結と継続」をどう思いますか?
A. 秋の運動会で、クラス全員でリレーの練習をやり続け、優勝した経験。
そして、3年間原爆の子の像を作るための活動を、みんな諦めずにやり続けたこと。
これら2つの経験で、団結と継続の大切さを、学びました。
Q. 禎子さんが入院したとき、どんな思いでしたか?
A. 「禎ちゃんはもう病気が治らない」ということが、私達にはわかっていたので、とても辛かったです。
Q. お兄さんのためにも、禎子さんのことを伝えるように言われたとき、どう思いましたか?
A. 私が語り部として30年間続けてこられたのは、この母の言葉が心にしみたからだと思います。
Q. 伝承者をしようと思ったのはどうしてですか?
A. 「禎ちゃんと同じ目に誰もなって欲しくない」「原爆の怖さを伝えたい」素直にそう思ったからです。
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伝承をしてくださった沖山さんからも感想をいただいたので、ご紹介いたします。
【沖山さんの感想】
修学旅行での「聞きとり学習」として伝承をさせていただきました。
言葉ひとつひとつに真剣に耳を傾ける姿、
話のあと次々と尋ねる一人ひとりの言葉に心打たれました。
お礼にと、真っすぐこちらを見つめ、全員で歌ってくださった
『折り鶴』の歌声は忘れません。
「聞きとり学習」を終え、「原爆の子の像」の前で
平和への誓いとしての「慰霊祭」。千羽鶴を捧げ、黙祷、そして「折り鶴」の合唱。
平和学習の大切さが沁み入りました。
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沖山さんが帰り際「原爆の子の像」の前を通ると、”おりづる”の歌声が聞こえてきて、貝塚東小学校の生徒達が、像の前で「慰霊式」を行っていたそうです。
慰霊式を終えバスへの移動の際、生徒達が沖山さんに気づき、ひとりひとり挨拶をしてくれたそうです。
そして、ひとりの男の子が、「本当にありがとうございました。川野さんにも伝えてください。」とお礼を預かったとのこと。しっかりされているなと感じました。