青崎小学校の感想文
6月20日にお伺いした青崎小学校から感想文が届きました。
今回初めて「語り部継承の会」の方にお話しいただいたので、伝承者の石津さんも私も感想文を心待ちにしておりました。
きちんと生徒さんたちの心に届いていたようで安心しました。
感想文の一部をご紹介いたします。
<感想文> ※一部抜粋
『調べても分からないその時の禎子さんの様子や「団結の会」などというものがあったのも知れてうれしかったです。石津さんの話し方も上手で、とてもわかりやすかったです。その時の状況が浮かびあがってくるようでした。そして話を聞いていて川野さんと佐々木禎子さんがどれだけ仲が良かったかがわかりました。川野さんが語り部になったきっかけも教えてくださったので、語り部の人達がどのような気持ちで私達にお話されているかがわかりました。
そして、ノートをくださり、ありがとうございました。サインもしてもらいうれしかったです。大切にします。』
『もう二度と戦争で苦しい思いをする人を出さないために、私も大きくなったら語り部活動をしたいと思いました。また、まだ小学生の私にも戦争の悲しさ、苦しさをたくさんの人に伝えるためにできることがないか探してみたいと思います。』
『「平和」とおは「戦争をなぜするのか」考えました。私にとっての平和は、ケンカがあっても仲良くみんなが暮らせたら平和と言えると思います。戦争をなぜするのかは、ひとそれぞれ違う理由があると思います。でもたとえどんな理由があっても戦争はしてはいけない。自分の気持で人を巻き込んではいけない。私はそう考えます。』
『わたしたち子どもにはまだまだできないことはたくさんあります。でも1つだけできることがあります。それは、登美子さんや敦子さんのように、8月6日午前8時15分に広島でなにが起きたかを伝えられます。これからも平和について学び、争いのない世界を目指します。』
また、質問も書いてくださっていたので、この場で回答させていただきます。
<質問と回答>
Q. 禎子さんと一緒に遊んだ思い出で、一番よく覚えているのは何ですか?
A. 陣取り合戦をよく覚えています。
先生の家に遊びに行った時、よくやっていました。
男の子と女の子に分かれて相手をタックルし、倒したら敵陣に繋がれ捕虜になるゲームでした。
禎ちゃんが一緒の時は、必ず女の子が勝っていました。
Q. 禎子さんのお見舞いには、どれくらい行かれたのでしょうか?回数を教えていただきたいです。
A. 回数は覚えていませんが、小学校の時は約束通り何度も行きました。
ただ、中学校に入ると回数が減り、8月以降は行っていなかったので、禎ちゃんが亡くなったと聞いて本当に驚きましたし、禎ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。